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ひと手間Weblog

メカ好き文系が試みたDIYと乗り物のレストアやモディファイの備忘録

名門ショップ謹製 ヤマハTZR125参上

オーエックスレーシングをご存じだろうか。その前進は、スポーツショップイシイという、ヤマハ系のバイクショップで、オートバイレース用のパーツ開発やチューニングを行っていた老舗だ。プロダクションレース華やかなりし頃から、ヤマハ系2ストマシンのレース用チューニングを行っていた名門チューナーでもある。


 

 

名門オーエックスレーシング

デリカバンからTZR125を自宅前に降ろしたばかりの状態。フロントカウルは、3TYには設定されてなく、限定販売の2RMから流用したようだ。そのカウルはイタリア製で、500台を完売後、500台追加販売されたようだ。

スポーツショップイシイ創業者の石井さんが、バイク試乗中の不慮の事故で脊髄を損傷してしまい車いす生活となってしまった。車いすを利用するようになってからは、既存の車いすに納得がいかず、レースで培われた経験を生かした、独自の車いすの開発製造に着手。その後、オーエックスエンジニアリングを設立、数多くのパラアスリート向け車いすを開発することになったようだ。そのグルーブ内に、オーエックスレーシングがある。

今回入手したTZR125は、ヤフオクに出品されていたものを、即決価格で落札することができた。2015年3月のことだった。出品者は群馬県の方だったので、拙ブログに何回か登場した友人にお願いをして、バイクの引き取りに伺うことにした。

恐らく1992年製の3TY2をペースに作られたオーエックスレーシングのコンプリートマシンを、街乗り仕様にしたものと思われる。FRP製のシングルシート、チャンバー、バックステップ、ステアリングダンパーは、オーエックスレーシング製のものだ。

出品者のお宅へ到着すると、玄関前に落札したTZR125が置いてあった。敷地内は広く、アスファルト舗装が施され、まるでちょっとした工場のような趣きだ。母屋右側の一角には、数台のスバルヴィヴィオが置いてあり、何台かはジャッキスタンドに載せられていた。左側のスペースには割と大きな倉庫があった。TZR125は、その倉庫内に置いてあったとのことだ。渡された書類を見ると、2011年8月に廃車とあるので、4年近く放置されているのが分かった。ただし、屋内保管のおかげで埃だらけではあるが、ひどいサビなどは見当たらなく、車体関係は、思いのほか程度がいいように思えた。

 

OX Racingコンプリートマシンだった

残念ながら、メーター類は一切なかった。セパレートハンドルは、ハリケーン製のものに変えられている。フロントスクリーンは、焼けによるくすみと埃で、透明度が全くなくなっていた。

スバルヴィヴィオだけが数台あるので、気になってしまい、どういうことか確認してみた。ご本人曰く、草レース用のクルマと、普段使い用のクルマとのことだった。スバルヴィヴィオには、熱狂的なファンがいるようで、当のご本人もそうらしい。ジャッキスタンドに載った何台かは、部品取りらしいことも分かった。

スバルヴィヴィオは、スーパーチャージャー搭載4気筒エンジンで、4輪独立懸架の4駆というハイスペックを誇るらしい。確かに国際ラリーシーンで、活躍した記憶もある。僕はスバルヴィヴィオには縁がなかったが、1990年代初頭の軽自動車は、ビートを始め、ヴィヴィオを含めてちょっと尖った面白い車両が、目白押しの時代だったように思う。

もっと話していたかったのだが、帰宅の時間もあるので、友人と二人でデリカバンにTZR125を積み込み、帰途についた。帰路中のサービスエリアで軽い食事をとり、無事帰宅。デリカバンからTZR125を下ろした。積み下ろしに重宝したのが、アルミ製の足場台だった。両側にある脚の片側を延ばしてセット。もう一方は畳んだままにして斜めにして、バイクの積み下ろしを行った。アプローチは短めだが、持ち上げる作業がなかったので、便利に利用できた。

改めてTZR125をチェックしてみると、数多く社外製パーツを使用されているのが分かった。そのパーツ形状などからネット検察をしてみると、このTZR125は、オーエックスレーシング製レース用コンプリートマシンだったということが分かった。

さて、このTZR125、どう調理していこうか……。

ーつづくー